2013年07月
7/27(土)はスローハンドでスミトsoloです
7/27(土)烏丸丸太町スローハンド
フジタスミトsolo
OPEN 19:30 START19:30 CHARGE¥1000
共演:ひがしのもり/坂本アキコ ※共演者様敬称略
もぅ、毎日暑くて参りマスね~
どうぞ皆さん、体調をご自愛ください
週末土曜日はスローハンドです♪
避暑も兼ねて(笑)冷えたビール飲みがてら
汗だくしゃかりきフルスイングをお見届けください
がむばりマス、どうぞ宜しくお願いします!
7/10-Room335/カワさんとがっぷりよつ!の一夜
7/10 Room335 フジタスミトwith河原田充でした!
ど平日、猛暑のなか
足をお運び下さった皆さん
ホントにありがとうございました!
観に来れずともお気遣い下さった皆さん
ヒロエねーさんと宅間さんを観にいらした皆さん
Room335山口さん&スタッフさん
そして、カワさん
どうもありがとうございました♪
汗と感謝の入り混じった
そんなフルスイングの夜でした
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とある日のこと、Room335山口さんが
ヒロエねーさん&宅間さんの共演者を
FACEBOOKで募集されているのを発見♪
その前に河原田充氏(カワさん)と
いっぺんご一緒頂く約束をしていたのもあり
「あ、これは呼ばれてる気がスル」
そう勝手に思い込んだ、のが始まりでした
3,4年前に同じくRoom335で
カワさんにゲストで数曲弾いてもらった時は・・・
白状すると、カワさんに遠慮ばっかりでした
何をどうしたいかも
カワさんにちゃんと伝える事も出来ずのライブは
全てがボクの落ち度なのですが、全くの不完全燃焼
終えてからはお客さんにも335にもカワさんにも
申し訳ない気持ちで、悔しくてたまりませんでした
同じ轍は踏まない
ゲストじゃなく、全曲がっぷりよつ
リハーサルでも
「ここはこーしたい!」
「ここはこー歌う!」
カワさんも
「スミト、ここはこうやろ?」
「あかん、この曲のここはおかしい!」
あれから4年のあいだ
様々な機会で繋がりあえたからこそ
ぶつかり合いながら入り混じりあえました
もちろんそこには
カワさんの多大な包容力がありまして(笑)
スミト&カワさんの音が出来てゆく
その面白さと楽しさにワクワクでした♪
ま、今回はオーディションでもあったので
カワさんがまた一緒に演ってくれはるかは
後日に怖々でお伺いを立てようと思いマス(笑)
カワさん、どうもありがとう♪
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そして共演は
ヒロエねーさんと、我が師匠の宅間顕
客席にも諸先輩方がそこかしこ・・・
それが見事にリンクしたなか
今年で48才は見事に子ども扱いデシタ(笑)
でもそれが、ありがたく嬉しかったデス♪
ヒロエねーさんと昔お話したときに
「私らはITACHIの子やね♪」
そうお互いに認め合ったことがありました
ねーさんもボクも
良くも悪くも(笑)ITACHIに出会わなければ
今こうして同じ夜を過ごすこともなかったはずです
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ライブ後は師匠に
キツーいお灸をすえられました
人によってはただの小言かもしれませんが・・・
ボクにとって宅間さんの言葉は
こんなボクをまだ伸ばしてやろうという
愛デス(言葉は荒いけど、慣れてマス♪)
ボクは音楽を芸術と思ったことがありません
昔から音楽は「芸事」だと思っています
【師匠と弟子】
漫才、落語を初め、大衆娯楽の世界には
当たり前のように師弟関係が存在します
弟子は師匠にぶっ叩かれてナンボです
ぶっ叩かれなくなったら終わりです
食い下がる覚悟が出来ていてこそ弟子なのです
一番出来の悪い弟子ですが(笑)
その覚悟だけは身についています♪
そして芸は「盗むもの」です
貴重なお金と時間を割いて
観に来て下さる方に喜んで頂くためならば
感動した芸に出会った時はためらわず盗むこと
いずれ自分の芸に昇華するために
必死に考えて実行して精進すること
「盗めるもんなら盗んでみろ」
師匠のギターは時にボクにはそう聴こえマス
自己満足でいいのか?
そもそもそれしきで満足してるのか?
もっと向こうを見たいとは思わないのか?
その音での問いかけに
「こんちくしょー!」と思うこと
ボクはそれを教わっただけでも
師匠に巡り合えて良かったと思っています♪
楽しいだけでは済まされない
終わりの見えない坂道で
答えの出せない海原で
まだまだボクは旅の途中
いろんな人たちの暖かさと厳しさのなかで
もっとボクは、歌になりたいデス
ありがとございました♪
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★おまけ
2004年07月16日(金)の日記
Roots「順不同で振り返る音記憶達」その6より
師匠と弟子の始まりのエピソードです
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今はなくなってしまった十字屋・出町柳店
ハードロックにやられた僕はエレキギターが欲しくなった
学校が終わると一目散にそこへ向かっては
友達と一緒にエレキギターを食い入るように見て過ごした
おいそれとギターが買えるわけでもなく
「ひやかし」でしかなかった僕らのチャチな質問に
嫌な顔ひとつせず答えてくれた店員さんがいた
宅間顕という人だった
1981年の初めだったと思う
バイトで貯めた8万円を握りしめてお店に向かった
電車に揺られながら頭はあるギターの事でいっぱいだった
宅間さんを見つけるなり僕は言った
「マイケルシェンカーモデル買いに来た!」
それを聞くなり宅間さんは言った
「オマエ…(苦笑)ちょっと待っとけ」
そこから宅間さんの長~い「説得」が始まった
「オマエな、あれはちょっとやめとけ」
僕「なんで?」
「考えてみぃ、あのギター年取っても弾けるけ?」
僕「言うたかてカッコええんやもん!」
「ええか、ギターはな、カッコええだけで買うもんちゃうんや」
僕「???」
とにかく長~い説得の末
宅間さんは一台のギターを持ってきた
僕「え~…イヤや、こんなオッサンくさいヤツ!」
「何言うてんねん!ジャーニーのニールショーンも使てんねんぞ」
僕「ジャーニー…」
「悪いこと言わん、コレ買うとけ。ワシも持ってるんや、ええギターやぞ」
国産メーカーアリアが作った名器PEシリーズ
このモデルが僕の最初のエレキギターになり
現在も現役で手放すことなく僕の家にいる
出町柳店が閉店して宅間さんが三条店に移ってからも
こんな大人と子供のような関係は幸運にも続き
それは同時に宅間さんがギタリストを務めていた
ファンクバンドITACHI!との出会いにつながった
当時京都のITACHI!といえば
それこそとんでもなく有名なバンドだった
初めてBIG BANG(現VOX HALL)へ見に行った時も
300やそこらは収容できる客席の階段にまで
お客さんがあふれかえっていた
ITACHI!の舞台はとにかく心底楽しかった
演奏していることを忘れてしまうくらい
楽器が体の一部になっていて
ITACHI!が楽しめば楽しむほど
お客さんの楽しみが数倍になっていく
「演ってるもんが楽しまな音楽ちゃうんや」
ITACHI!の舞台を何度も見るうちに
僕は勝手にそんなことを学んでいったと思う
やがてITACHI!は東京へ行き
TOPSと名を変えてメジャーデビュー
ITACHI!と宅間さんは僕が追いかける「星」になった
僕がTOPSではなく
あくまで「ITACHI!として聞くことの出来たアルバム」は
今も僕のレコードライブラリーに大切にしまってある
それから数年の後
「宅間さん、京都帰ってきたはるで」と風の噂が舞い込んだ
「京都のスタジオでプロデューサーしたはるらしいわ」
音楽だけで食べられないままに
社会とバンドを行き来してフラフラしていた僕は
会おうと思えば会えたのに会いに行かなかった
「知り合いなんやったら会いに行ったらええのに」
何人かのミュージシャンは何の気なしにそう言ったが
宅間さんは僕がこうして音楽を続けていることすら知らない
そんな自分が飛び込み同然に会いに行って
義理や見返り目当てと思われるのは絶対に嫌だった
「京都で音楽やってたら、ほっといてもいつか必ず会う」
そう思って暮らしていた
長い時間がかかったが僕と宅間さんは再び出会った
この再会は二人だけの運命ではなく
沢山の人達がいて下さったおかげで叶った
音楽を続けてきて本当に良かった
宅間さんは全然変わらない
「おぉ!スミト!オマエ元気やったんけ?」
その一言で
十数年のブランクは吹き飛んでいった
そしてこれから先もずっと続いていく
僕は宅間さんが心底「好き」なのだ